国債制度が破たんしてしまった時の想定(妄想)3

一方、もうひとつの軍事大国アメリカは、この顛末を傍観するより他無かった。アメリカ軍には独立が保たれていたものの、何の命令も無かったからである。とはいうものの、アメリカ国内には治安が保たれてた。しかし、長きにわたる資本主義への依存と民主主義独立国家への誇りは、どうどう巡りの結果のない議会議論を呼び起こし、全く何の方向性も示さなかったのだ。

そして、ユーラシア大陸全域を支配したロシア大帝国といえども、生粋の民主市場資本主義によって培われたアメリカの軍事力を決して軽視していなかった。アメリカを攻略することよりも、大帝国の体制を整えることを優先したのである。

軍事的動きは他にもあった。ユーラシア大陸から程よく離れ、地下資源・農業資源に恵まれていたオーストラリアは、確固とした軍事的独立を保ち周辺の島国を傘下に置いていたのである。

一方、我が日の出ずる国、日本はというと、どこの国からも全く相手にされていなかった。というのも、この経済が無くなった世界で、地下資源も農業資源も無いことは、何の価値もないことを意味していたからである。だが、それだけでは無かった。統制の取れた自衛隊という障害もあったからだ。ロシア大帝国にとっても、日本を侵略することは決してタダではなかったのである。

こうして人類の新しい歴史が幕を開こうとしていた。

おわり


 途中から軍事SFになってしまったが、如何に現在の文明がもろいものか、ということを痛感した。経済・石油、この二つのいずれかが無くなるだけで、今の生活は全て無くなる。完全に想像のできない生活が訪れる。いかにわれわれがこの二つに依存しているか、そして今の文明がいかにもろい砂上の楼閣か、ということである。持続可能な社会?どの口がそのような夢物語をたたくのだ?われわれは、その全く逆の方向を選択し、そして進んできたのではないか?