高次科学

 私の言うオカルトを、怪しさだけ取り除いて表現すると、この名前がいいよう思う。

 英語で言うと high sphere (or dimension) science ということになる。

 ちなみに宗教学や哲学(の中でも一等のもの)は、超高次科学:super high sphere (or dimension) science ということになる。

 占いの当たる原理は、どのように考えても、科学scienceの延長線上にある。ただ、そこで使う定理や公式に数を用いないだけだ。

 量子力学で最近重要な実験が行われたらしいけど、そのことが、この高次科学への道を開くかも知れないと思っている。というか、正確に言うと、この高次科学は昔からあるのだけど、感覚みたいなものを使用することとか、具体物や数を用いないことによって、ほとんど証明が困難で、一般的に知られていないだけである。現在では、科学の圧倒的立証率と立証性に押されて、オカルトという怪しい名前になりを潜めているが、科学が流行する前では、逆にこれが世界のスタンダードであったのだ。ただ、あまりにも難しいために、間違いも多く、詐欺の手段としても使われていた(現在も使われている)ために、その信用が落ち、科学にその座を奪われたのだと思う。だが、しかし、間違いなくこれらは現在の科学の延長線上にある。ここで高次としたのは、現在の科学よりも、より抽象的なことが論点となるからである。
 
 この高次科学が人間の未来を切り開く可能性もあると思う。私は最初に、哲学と宗教学をこの高次科学より上位に置いたのだが、もし、その配置がすべて正しいとすると、人類が道徳や慈愛を間違いなく正しいものとして受け入れるときは、かなり遠い日のことになる。なぜなら、物事には段階があり、高次科学の領域が認められていない世で、いきなり超高次科学が是認されることはないからである。

 だが、しかし、この科学、高次科学、超高次科学の間には、包含関係の意味(sphere)での高次と、全く別の範囲という意味(dimension)での高次があると考えた方が正確である。そう考える必要性はあるだろう。

 あと、人間が用いるとなると、それを知るために用いる感覚の別次元性も考えないとならない。

 あらゆる学問は、この高次性の範囲の包含か独立かという関係の組み合わせで弁別できそうだ。

 また数とは、具体物と抽象物の中間物、または具体性と抽象性のかけ橋のひとつである。文字や文章、ことばwordも、この具体と抽象の真ん中のものと言える。ただ、ことばwordは完全な抽象物と成り得ることもできる。しかし、そこには限界がある。空理で言うと、絶対側世界に属するのがことばwordであるからだ。空理の相対側だと、ことばは無限なものを意味して何も意味をなさない。相対側世界では、成見つまり、決められた範囲がないので、その解釈がすべて自由になりうる。