荀子を読んでいて2 王道と韓非子

 最近荀子を読んでいるのだけど、とても難しい。読むたびに思うことは、彼は「まごうことなき韓非の師である」ということだ。今日は、一度荀子に会ってみたいなと思った。まあ、会えないのだけど。

 荀子の思想は、韓非子に比べると権謀術数をかなり卑下している。国家の「王道・覇道・(強道)・亡道」というのを定義している。そして理想的な国家である王道国家では、国が礼と義を履み行う。としている。このあたりのことは、論語孟子、中庸・大学にはない思想と言えそうだ。それらの叙述はあくまで、個人の礼・義に留まっているからだ。

 韓非子を読んでいた時、かなり疑問に思っていたのだけど、秦滅亡後、漢では儒学がかなり興隆した。それが、なぜ、韓非ほどの廉潔・明察の士をして、荀子に言う王道を説かなかったのかということである。韓非子に説かれているのは、荀子に言う覇道、下手をすると亡道である。だが、漢代にはかなり王道に近い政治が行われているのである。

 それが何故だか考えてみるに、群雄割拠の春秋戦国時代、それを収束させるには、権謀術数が必要であったのではないかということである。その時代が収束して、下地ができたから漢代に王道を行うことができたのではないか。

 以前、私は、ある程度の権謀術数は王道であると言ったが、それは訂正しなければならない。やはり、荀子の言うように権謀術数は不信を招き、上下の心を離れさせ、最終的に国を滅亡に追いやる。だが、権謀術数を知ることは重要である。「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」(孫子より)防衛の手段として権謀術数を知ることは、個人のレベルでも重要であろう。