今までの考えのまとめ

 最近、自分の年齢的に、いろいろなことに焦り始めた。そのことによって、当初の目的というか志というかを見失ってしまっていた。

 そもそも、私が生涯をかけてでもやろうと思っていることは、正しい人が少しでも損をしない社会の実現であり、全ての生きとし生けるものが少しでも幸福に近づく社会の実現であった。

 そして、こうした社会を創り出すためには、それを実現する社会システムが必要ということだった。

 そして、この新しい社会システムは、現在の資本-民主主義による社会システムとは違うものであるということだった。また、それの実現のためには、その新しい社会システムに伴った全く新しい常識、new standardが必要ということだった。

 しかし、それは、現在からかけ離れた理想的なものであってはならず、論理的に証明された、現在から漸次的に移行できる社会でなくてはならないということだった。漸次的に移行できる社会とは、「神の見えざる手」が働く社会のことである。資本主義経済が発達したことによって、多くの人間は物的ゆとりを手に入れた。封建主義が資本主義に取って変わられるとき、多くの人間は食的ゆとりを手に入れていたのだ。こうして、新たなゆとりが加わった社会では、神の手の動きも変質してくる。この変質した神の手を見抜くことが、新しい社会を見つける第一歩である。徳のとの字も知らない人に徳を押し付けることができないように、人類に真の理想の社会を押し付けることはできない。

 だから、今の社会を理解する必要性があり、そのためにいろいろなことを勉強しているのだった。

 その過程で、歴史を勉強して富が何であるかを求めたり、未来に起きそうな事象を推測したり、そもそも幸福とは何であるのか考えたり、そういったことをしていたのだった。だけど、その一個の項目の時点で、それは相当でかい研究対象であって、その一個の項目を研究し尽くすのだけでも一苦労なのだ。だから、私は常に、当初の目標の大略眼に立って勉強をしなければならないにも関わらず、一つの研究項目に陥ってしまって、目標を見失いがちになっていたのだ。