わかりやすい論語11 過ちは見逃さないで

はじめに
 人は誰でも「過ち」をします。失敗しない人、間違いを犯さない人がこの世の中にいるでしょうか。普通の人なら、一日に一回は「過ち」をすると思います。孔子があなたの「過ち」を見た時、孔子はその「過ち」をどのように観るのでしょう。


子曰く、人の過ちや各其の党に於いてす。過ちを観て斯に仁を知る。

(里仁第四より)


現代語訳
人の過ち(過失)というものは、その人の性質に大きく関わっている。だから、過ち(過失)をよく観察することで、その人の仁を知ることができる。


解説
 こんな話があるそうです。あるお役人が、急に特別な税金を取り立てました。もちろん、その領民はそのことについて怒り、またそのことによって生活が困窮してしまいました。そして、この領民が、そのお役人の上役にそのことを訴え出たのです。上役は、その臨時徴収をしたお役人を呼びつけて、「なぜお前は、税金の臨時徴収などをしたのだ?」と詰問しました。そして、そのお役人はこう答えたのです。「うちの父は、死ぬ前に一度だけで良いから、革の衣を着てみたいと言っていました。そこで、私は、父のこの願いをなんとか叶えようと、臨時徴収をしたのです。」当時の生活を考えると、恐らく、このお役人の家にもまともな衣服は無かったでしょう。今のように、おしゃれのためにワンシーズンで服を着なくなるなんてことはありません。10年も20年も、同じ服を大切にするしかなかったのです。そんな時代であったからこそ、このお役人の行動は「親孝行」であったのです。今からすれば決して贅沢なことではありません。そこで、このお役人の上役は、「過ちを観て斯に仁を知る」と言って、そのお役人に革の衣を与えたそうです。

 この話では、お役人の親を思う「仁」の気持ちが、領民を困らすという過ちになって現れてしまいました。このお役人に、「仁」という性質があったがために過ちが起きてしまったのです。このお役人は事実悪いことをしました。自分の父親のためだけに、領民を困らせてしまったからです。ですが、このお役人の「仁」という性質が、過ちによって分かったのです。

 人は、とかく自分以外の人の非や、ミス、間違いを指摘したくなるものです。ですが、ちょっと待ったと考えて、なぜその過ちが起きてしまったのか考えることも大事でしょう。誰かの過ちを見たときは、それを観て(よく観察して)、その人のどんな性質がその原因となっているか考えてあげましょう。許してあげることもできるかもしれません。

 ですが、自分が過ちを犯してしまった時は、そんな甘いことを言っていてはいけません。自分のどんな性質が、その過ちの原因になっているのか考えるべきです。例えば、ペットのえさやりを忘れてしまったのなら、あなたはペットの「おなかがすいている」という気持ちを切実に感じてあげていないといえます。誰かに何かを借りたことを忘れていたのなら、「貸してくれたこと」に対する感謝の気持ちが足りなかったり、その貸してくれた人を軽視している(軽くみている)なによりの証拠です。そうやって、自分の過ちの原因をしっかり知ることが、本当の「反省」であり、その積み重ねがよりよい自分を作って行くのです。


わかりやすい論語まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563


おまけ 英訳
One's mistakes are caused by his character which hidden in his deep mind.
Sometaimes,we can know his "Jin" by carefully observing his mistakes.