世界は変わりつつある

 最近は、どの列強と言われた国も、「発展」という攻めの形から、自分の「生き残り」という守りの形だけを模索し始めているのではないか。(孫子形編より 守はすなわち足らざればなり、攻はすなわち余りあればなり:守るのは足らないからで、攻めるのは余りがあるからである)

 アメリカの行動方針も大きく変わったのではないか。もう、アメリカに、国際警察のようなことをするメリットは何もない。それは、抱えたら抱えただけリスクが高まるからだ。それが証拠に、イラクから撤退している。シリアの件についてのオバマ大統領の見解もあくまで「民主主義は擁護するが、武力介入はしない」という「大義的な」ものだった。沖縄の海兵隊も半分をグアムへ移転している。しまった、我ながら気付くのが遅かった。というか、完全に方向転換が決定したのは、いずれにせよ、ここ一年以内のことだろう。でも、気付くのが遅かった。

 他の国々も同じである。どの国も、自分の国だけを何とか生き残らすことだけで精いっぱいなのではないか。もう、拡張という概念は完全に時代遅れなのである。抱えたら抱えただけリスクが高まるのだ。しかし、攻めて確保しないと手に入らない「必要不可欠なもの:essencial things」があることも事実だ。

 そしてそれを見定めるためには、「具体的にどういったこと」が「生き残り」を意味するのかもしっかりと見定めないとならない。それは「自国民の安全」であるのか、「特権階級の保身」であるのか、「最低限の富の分配」であるのか、「特権階級の富の蓄積」であるのか、「自国文化の保存」であるのか、「経済的繁栄」であるのか、そして人類の総意が求める現在と未来:「今の渇望」とは一体なの何なのか。それを見定めないとならない。だが、それを見定めることは限りなく難しい。アダムスミスがそうしたように、人間が何であるのかを知らないと、それを知ることはできないだろう。

「今の渇望」essential thingの一つであるエネルギーについての資料
http://www.acci.or.jp/energy/energy/en01/en01.html