少子化は善いことだ 〜人類の総意としての人口減少〜

 昨今、出生率が減るという現象が起き始めている。どうやって調べたかは忘れてしまったけど、現在、先進国と言われる国では、アメリカがかろうじて2.04と、増加傾向であるものの、他の国では軒並み2.0を下回っている。これは何故か。そして、この現象は何を意味するのか。

 これが何故か、ということは、前にも考察したけど、簡単に言ってしまうと、家族の「数」に頼らなくても安定した生活が送れるようになったからである。社会依存による安心度を、関係性と絶対量によって数式化すると、このことが良く分かる。

 それで、私が最近思ったのは、「少子化は本当に人類にとってマイナス要因なのか」ということである。例えば、私はコオロギが嫌いだ。まず、見た目がゴキブリに似ているということもある。だが、それ以上に、小学校のときに、コオロギが共食いしていたのを見たからである。授業か何かでコオロギを大量に捕まえて、教室の片隅で飼ってあった。その虫かごは、そのコオロギの数からすると明らかに狭いものであった。誰もエサをやっていなかったのかもしれない。それとも、エサが少なかったのかもしれない。ある日、そのかごの中を見たら、半分だけ無くなったコオロギの遺骸が散乱していたのだ。言うまでもないが、遺骸の残っていない半分は、今生きているコオロギが食べたのだ。それを見て以来、コオロギを見るのが嫌になった。

 そこで、このコオロギの状況を人類に引き当ててみると、少子化が必ずしも人類にとってマイナス要因ではないということが分かっていただけると思う。虫かごというのが、地球である。コオロギが、そこに住む人間である。

 限りある地球で、これ以上人間が増えることは、人間個人同士の争いごとを増すだけである。そろそろこの辺の人口数が、地球と言う虫かごの限界なのではないかと思うのだ。このコオロギの惨状は、蒙昧な児童が、急激に理不尽な環境を創り出したことによって起こった。だが、もしも、これが自然界のことであったらどうであったであろう。あるコオロギは、強者に食われてたかもしれない。あるコオロギは、何か自然の病気や事故によって死んでいたかもしれない。しかしいずれにせよ、どのコオロギも共食いの憂き目だけには会わなかったと思うのだ。

 こうして考えてみると、出生率が減ることは、むしろ人類にとって喜ばしいことである。共食いという憂き目にあわずに済むのだから。そして、人間が本能的にも発達したすばらしい生物であると信じればこそ、出生率を減らすという選択が、人類の総意として人類自身によって選択されているのではないかと思うのだ。