ヘロドトス歴史を読んでいて2 〜人類の総意としての美徳選択〜

今日、ヘロドトス「歴史」の第一巻を読み終わった。かなり面白い。

 「歴史」は、主に、戦争についてのことが書かれているのだけど、時折、その民族の風俗が書かれている。これがなかなか面白い。かなり良い歴史資料だと思う。

 これはちょっと大げさだろ。と思ったのは、バビロンの麦の収穫量で、なんと200倍から300倍だったそうな。こ、これは…と思う。20〜30の間違いだろう。現在でも20〜30倍、三圃制時のヨーロッパで4倍程度、囲い込み農法などの農業革命後でも10倍ということだったと記憶している。

 次に、性風俗である。ギリシア以外のどの民族(ヘロドトスがこういったことを「破廉恥な」などと表現していることから推測)でも、性行為の機会が格段に多い。女性の方からしても、男性の方からしても、かなり不特定多数ということが社会の大前提として認められ、それが慣習や習慣となっている。また、ヘロドトスがこういったことを重要なこととして位置づけ、記録にしっかりと留めているところも称賛に値する。生殖行為は、人類の生活を推測する上で、相当に役に立つからだ。つまり、私はその記録から面白いことを読み取ったのだ。

 その面白いこととは、こうった不特定多数での生殖行為の目的が、「遺伝的に丈夫で優秀な子供を作ること」を合理的に行うことであったと思われることだ。いろいろな最近の研究から、遺伝的に丈夫で優秀な子供は、一目ぼれ同志でできやすいとか、相手のフェロモンを良いにおいとかぎ取るような本能的選択からできやすいということになっている。これは、人間を「合理的に子孫繁栄を願う生き物」として捉えると非常に納得のできることである。文化的にも、文明的にも未開であった紀元前500年ころまでは、こういった人間の野性性とも言うべきものが、大きく残っていたのだし、それを利用した方が民族が発展したということだろう。だから、これがメジョリティーであったのだ。

 しかし、これに対して、キリスト教などのその後メジョリティーとなるような宗教では、むしろ不特定多数との性行為は禁じられている。これは何故か。だが答えは簡単でもある。人類の文化や文明が発展するにつれて、遺伝的に結びついた父母の子供より、愛情的に結びついた夫婦の子供の方が優秀になり出したのである。なんでそんなことを言えるのか。と思う人もいるかもしれない。しかし、人類が「男女の愛情による結びつきである夫婦」を美徳と選択したことが、この私の結論の何よりの証拠なのである。人間が生き物である以上、そして自然物である以上、人類は必ず総意として、人類の発展を最も内蔵した思想を美徳とするのである。そしてまた、人類がこれだけ繁殖し、また繁栄したこと自体が、この「人類の総意としての美徳選択」が正しいことの何よりの証拠なのである。つまり、「愛情により強く結びついた夫婦の子供」が最も優秀な人材となる可能性が高いのである。