原発再稼働について
私は、原発再稼働について、賛成派だ。というか、再稼働するより仕方あるまい。
現状での原発永久停止など、夢のまた夢、理想論でしかないと思う。
というか、原発を使うなと意固地になっている人は、
計算ができないのではないか?
現実を見ることができないのではないか?
原発を使わないことが自分の生活にどのように影響してくるのか想像できないのではないか?
原発を使わないことへの覚悟があるのかどうか?
とちょっとした反感とその愚昧さへの怒りすら覚える。
答え
計算ができないのではないか?
→夏場を原発なしで乗り切れるのかどうか、その計算ができていない。
計算ができるなら、これから訪れる夏場に電気が足らなくなることは簡単にわかるはず。去年の夏場は原発が動いていた。なのにあれだけの節電が強いられたのである。今年はさらなる節電をしなくてはならない。簡単な足し算と引き算だ。
現実を見ることができないのではないか?
→自分が夏の暑さに耐えることができないという現実、またこれから耐えがたい暑さが訪れるという現実を見ていない。
現実を見ることができるなら、自分が夏場にクーラーを付けて寝ることを、また事務所で、クーラーの設定温度を密かに一度下げることを容易に想像できるはずだ。また、今日くらいはいいや、とクーラーをあなたが付けるとき、皆がクーラーを付けるという現実をあなたは見ていない。
原発を使わないことが自分の生活にどのように影響してくるのか想像できないのではないか?
→自分の生活がいかに原発の(電気の)お世話になっているか想像できていない。
原発を使わないということは、つまり、電気を使わないということである。あなたはクーラーを付けることはできない。また、春には使っていなかったはずの扇風機すら付けることはできない。もし、それを付けるなら、テレビを消すか、昼間暗い中で仕事をするか、夜間、暗い部屋で起きていなければならない。
原発を使わないことへの覚悟があるのかどうか?
→原発を使わないことで私たちが失うもののことを覚悟していない。
原発を使わないならば、以上のようなことを我慢しなくてはならない。また、暑さとは、寒さよりも格段に仕事の効率を下げる。だから、赤道直下の国々はなかなか発展しないのだ。それが何を意味するか、あなたは覚悟しているのか。また、電気が足らなくなったときのことをあなたは覚悟しているのか。パニックが起こるのである。冷蔵庫も、パソコンも、照明も一気に止まる。あなたはそれが起こった時、何も文句を言わず、淡々と仕事に戻ったり、普通の生活に戻ることはできるのか。都心の不自然な暑さをしのげないお年寄りが、多く命を落としてしまうことを、また、若い人でも、無理して冷房を付けなかった人が命を落としてしまうことを、あなたは覚悟しているのか。それがあなたの身近な人であるかもしれないことを、あなたは覚悟しているのか。
以上のことを計算し、認識し、想像し、覚悟している人は、原発再稼働について、大手を振って反対してほしい。
ちなみに、私は、田舎に住んでいるので、クーラーを使わないことは約束できるが、扇風機は使わしてもらうし、昼も少し暗い時は、照明を使わしてもらう。だから、私は原発再稼働については、とてもではないけど反対することはできない。いつかは原発に頼らないことが、できるかもしれないけど、現状では無理だ。急激に日本の経済が後退し、いたずらに石油資源を用いて、日本全体の、地球全体の、さらなる急激な破滅を招くだけだと思う。まずは、以上に上げたようなことを克服できるよう、自分達のレベルを上げること、そして、原発を使わない方向でのエネルギーをどう創り出し、どう使うのかという工夫を積むことをしなくてはならない。