韓非子を読んでいて3

 韓非はかなり儒学に通達している。韓非が荀子の弟子であったことを考えれば当たり前の話なのであるが、どうしても、法術=焚書坑儒と話を結び付けてしまうので、なんとなく腑に落ちない感じがする。だが、韓非子の話やものの考え方の根底に、常に論語に記されているような儒学的な考え方があるように思う。

 そして、ここが一番の要なのだけど、法術の士の絶対必要条件は、私利を優先しない人物であるということなのだ。なぜなら、法術は国家のためにあるものであって、もしも、その士が私利を優先したならば、その途端に、その士は国のために法術を使う法術の士でなくなる。智術の士が現れるための絶対必要条件に、「学問」があることは間違いないのだ。


漢文風にそれを示すと

士にして学問無ければ、必ず己の利勝る。己の利勝れば、則ち国後にして、己の利先んずる。己の利先んずれば、常に己のみ重し。いくんぞ死力を尽くして君を佐け国を治むるを得んや。そもそも法術なるもの、士をして死力を尽くさしめ、君を佐け国を治めんが為のものなり。故に法術を為すの本に必ず学問あり。

或いは曰く、利を国に置くは己にあり。
己修まれざればいずくんぞ能く利を国に置かんや。

やっぱり、立法を司る政治家は立派な人で無ければならない。最低でも大学くらいは読んで欲しいものだ。