日本の産業構造について2 -汎用般化と専用特化

最近、「水平分業」という言葉でネット検索をかけると、私のブログ記事http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130226/1361875378が一番上に来るようになっていて、その記事を読んで下さる方も多いみたいなので、以前、書きかけにしていたこの記事を最後まで書いてみた。

さきほど、水平分業と垂直統合、専門特化と汎門凡化について説明したが、これらの産業構造が結果として、人間の社会に及ぼしている影響について説明したい。

それが、汎用般化と専用特化の違いである。

汎用般化とは、一言で言ってしまえば、スマフォの普及のことである。最近のスマフォは非常に便利だと思う。私も、その便利さを魅力に感じて、六年ほど愛用していた折り畳み式の携帯をスマフォに変えた。前置きはこれくらいにして、どうしてスマフォの普及が汎用凡化であるのか説明したい。

スマフォの便利な所は、何でもできるところである。つまり、電話もできるし、メールもできるし、インターネットで調べ物や読み物もできる。さらには、GPS機能でナビにもなるし、テレビまで見れる。とにかく、何でもできる。つまり、汎用性が高いのである。そして、この汎用性の高い結果、ナビを買おうと思っていた人はスマフォを買い、小型テレビを買おうと思っていた人はスマフォを買い、低性能パソコンを買おうと思っていた人はスマフォを買うのである。ここで起こっている現象が、般化、つまり、多くの人が手にするという意味での一般化である。だから、私はスマフォの普及を、汎用性が増すことにより一般化する「汎用般化」と呼ぶことにした。

では、これと逆の事象は何だろう。というときに、それこそが専用特化なのである。例えば、自動車は移動手段としてしか使えない。テレビはテレビ地上波を見ること以外に使えない。DVDプレイヤーはDVD再生以外に使えない。さらに例えを近付けると、スポーツカーはスポーツカー愛好者からしか買われない。高級なオーディを機器はよほど音楽の好きな人にしか買われない。このようにその用途が専用化されることによって買う人が特殊化されることを「専用特化」と呼ぶことにした。

先の水平分業と専門特化の話でも分かるように、現在では、この「汎用般化」を目指すのか、それとも、「専用特化」を目指すのか、という選択肢でどちらを選ぶのか、という岐路に多くの日本企業のうちでも特に製造業が立たされている。ここでのかじ取りをうまくしている企業は現在なんとかやっていくことができているのだが、ここでのかじ取りを失敗しているほとんどの企業は、赤字を累積して取り返しのつかない損失を蒙っている。

これらの損失を蒙った企業とは、多くの製造のシェアを海外企業に奪われたり、時には自らの選択によって製造を海外工場に委任することによって、この損失を受けたのである。

それはどういった意味か?

先の水平分業と専門特化の話でも明らかにしたように、現在は、一分野のことが究極にまで難しくなっている。このために、これにけん引される他の後進国も、二十年前では究極に難しかったことを、わりと簡単に理解できる状況が生まれているのだ。そして、これは日本企業が、労働賃金の安さを理由にし、さらに企業の利益を優先することで、海外に工場を移転し始めたことが一つの大きな要因となっている。しかし、これは自然の摂理というもので、水が高いところから低いところに流れるように、技術もあるところからないところへともたらされる。

しかし、私としては、企業が利益を優先し過ぎる姿勢を、また別の理由によって批判したいのだが、それは今回はしないで、この批判されるべきであるが、なかなか変化させることが困難なこの利益を求める姿勢を、どのように助けるべきなのか、ということについて論じたいと思う。

先にも明らかにしたように、簡単で低技術のことをしていては、海外の後進国の企業にすぐに真似されてしまう。では、どうしたらいいのだろうか。

それが汎用般化と専用特化である。しかし、これを用いるためには、これらがどういった意味なのか、深く理解しなければならない。


では、汎用般化に隠れている理論をまず明らかにしよう。汎用般化とは、高い専門性のあるものが集まることにより、そうしてその商品の利用価値を高めることである。だから、一般化される可能性がある。一般化されるのならば、これは多く売れるということであり、多く売れれば「高い開発コスト」を安く消費者に分配することができる。

この良い例がユニクロのやり方とも言える。そもそも、服というものは、デザインが重要であるのだけど、デザインを良くするためには、それなりのデザイナーを雇わなければならない。すると当然、このデザイナーにかかる費用が高ければ高い程、この服は売れる可能性が高まるということになる。しかし、これに反して開発コストは高くなって商品の価格も高くなり、価格競争に負けることになる。

しかし、それでは売れないから、この故に、多売するのである。だが、これは薄利多売とは全くの別物であり、正確に言えば多売割費(たばいかっぴ)と言うことができよう。つまり、同じものを多く売ることで、多く生産しても増えない固定コストである「開発費」を分配して割り振り、そうして低価格を実現しているのである。

こういった意味で、ユニクロの経営戦略は、もう設立当初から決定されていた。つまり、最初は薄利多売、安かろう悪かろうでもいいから地盤と販売店を確保し(ユニクロができたばかりの当時はユニクロの服はださい服の代名詞であった)、これがある一定ラインを越えた時に、経営方針を、「薄利多売」から「多売割費」に切り替えたのである。こうして、今のブランド力ができて、ユニクロは今のオシャレであるのに安い服「ファーストファッション」企業の代名詞となったのである。

そして、この「多売割費」を実現し、またその「多売割費」の市場を提供している最たるものが、汎用般化を遂げたスマフォに他ならない。だから、高い専門性を実現するための「高い開発費」を薄く分配する多売割費こそが、費用面での汎用般化の正体であるのだ。

さらに、この多売割費と汎用般化という市場構造が水平分業と専門特化という産業構造と、技術面でとても相性の良いことにも気がついて頂きたい。こいうった本質的な組み合わせにおける相性の良さを利用するのが、最近で主流になっている新しいビジネスモデルの一つである。しかし、こういった商品のさきがけは、爪切りもついていればはさみもありドライバーもナイフもついている、という万能ナイフがそうであったと言えるだろう。だから、実は新しいビジネスモデルなのではなくて、古くからあるけれど、最近になって実現し易くなったビジネスモデルというのが正確なのかもしれない。

このように考えてくると、汎用般化の見込みがないものはどうすればいいのか?ということになる。ここで出てくるのが「専用特化」である。例えば、自動車なんかは、人の移動手段としての枠組みを越えることはできないし、さらに、それ以上の専門的な別分野と市場が合体して、汎用般化される余地もほとんどない。これはオーディオ機器に関しても同じことが言える。これらのものが汎用般化されることはないであろう。

だから、こういった場合には、専門特化して専用特化を目指すことが重要となる。極限まで専門特化されたものは、その道の最新であり、最新でしか満足できない人も世にはいるのである。他の面から言えば、最新のものによってしか最新のものは生まれてこない。例えば、顕微鏡の技術が発達したから医学や細菌学が発達したのであり、別の分野で最新となるためには常に最新の周辺機器が必要となってくるのである。

こうったわけであるから、人類が発展しようとする限り、どんな種類かには関わらず、常に最新、最高度に発達したものが、求められるわけである。求められれば需要があるということであり、需要があれば売れるということである。だから、どれだけ値段を高くしてもいいから、常に最新のものを売ろうとすることが「専門特化して専用特化を目指すこと」であるのだ。

しかし、多売割費を目指すことはできないから、貴売必益(値を釣り上げて少ししか売らないのであるが、必ず収益が出るようにすること)が肝要となるのであって、この面ではリスクが大きい。しかし、ものは考えようで、最新の技術があるのなら、それは、その専門特化が認められて、水平分業の一角を担うチャンスを持つことと同じになる。だから、ハード(完成した商品)としての需要だけでなく、ソフト(部品や一部としての商品)としての需要へのアンテナも普段から張り巡らせておくことも大事なことと言えるだろう。

このように述べてきたように、一番いけないのは、中途半端なままでいることである。とにかく早いとこ、何かに専門特化して、それ以外のものは枝葉の事業とすることが、現代において最も重要な企業戦略なのである。そうしないと、そんな時代遅れのものに消費者は見向きもしてくれないし、さらに、発展途上国からの追い上げもこれに拍車をかけて、またたく間に全ての商品が売れなくなってしまうことになるだろう。